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2017年11月15日 (水)

ほぼほぼまめごと(58)

長いですが、思うことがあったので書いてみました。

こんなのは楽しくないとお思いの方は、

遠慮なくスルーしてちょ(#^.^#)

 

 

ほぼほぼまめごと(58)

かぁちゃん話「弔意」

先日、韓国の役者さんで、「ホジュン~伝説の心医」「武神」でとても難しい役どころを見事に演じておいでだった、キム・ジュヒョクさんが交通事故禍で亡くなられました。

心よりご冥福をお祈りいたします。。。

 さて、本題は別で。このことに関連してかぁちゃんが大好きなユ・アインさんがSNSで示した弔意が向こうで大問題になったようなのよね。お葬式の日が彼の大切な先輩の結婚式があって踊ったことも相俟って。。。

 日本でも直近で「あけおめ」「ことよろ」というお正月の挨拶の省略形に物言いがついていた記憶があります。

ただ、今回は祝意ではなく弔意であることが、軽薄に見えたようですね。どう示すかは人それぞれなので、この弔意がいい加減なものととるのかどうか意見の分かれるところなんでしょうね。ゆえに、いつも慎重なアインさんにしては珍しいなとは思いましたが、早朝のことでもあり、慌てて上げたような気もします。

これも大人の俳優であり大物俳優でもあるという証明なのかもしれませんね。多分どう表現しても気いらない人は必ず存在するでしょうから、これ以上物議を醸さないといいなと思いつつ、かぁちゃんの経験を思い出してました。

 

あれは、かぁちゃんが小学6年の時のこと。担任の先生が6年になってから、超ベテランの先生になり、かぁちゃんがイジメから救われて暫くしたころでした。

新しく赴任された校長先生が、倒れて2週間もしない内に亡くなられました。どんな人柄なのかどいういう意識のある方なのか、子どもなりにも判断するものですが、そんなヒマすらないくらいあっという間のことでした。

 その訃報が校内放送で流れた後の児童の反応が、とても印象的でした。多くの子どもは「死」というものが身近になって、とても不安な気持ちでいたように思います。中には、よく知らない人でも死ぬことの残念さを思いやって泣いてしまう子もいました。そんな中で、少数ですが、泣いている子をからかったり笑ったりしている子達がいて、「どういう神経?」的な非難の目が集まりました。避難に対する彼女たちの言い分はこう。

「あの先生のことは顔も覚えてないくらいよく知らないじゃん。なのに泣ける方がよく分からない。こういう場合でも泣くものだとは分からなかった」

 主張の正しさはともかくも、当時のかぁちゃんは一理あると思ったし、その上、彼女達はクラス内実力者だったので、とても責めることなどできませんでした。要は変に責めるとイジメが復活するのではないかと不安になっちゃたのよね。で、かぁちゃんは目立たないようにして沈黙を守る立場に。。。小さい人間です

 ところが、とっても皮肉なことに、超ベテランの担任の先生から学校葬で児童代表として「弔辞」を読むように言われました。それもかなり直前になって。。。

 代表委員会の委員長や副委員長をさしおいて?中学受験をするような優秀な子たちをさしおいて?一生懸命断ったのですが、日にちもないしすぐとりかかるようにと言われ仕方なくやることにしました。

多分、どの子からも今回の弔辞の難しさからお断りあったのだろうと容易に想像できましたし、先生に何かお考えがあるようにも思えました。

 徹夜した考えたんですよ。難し気な言葉やカッコいい言い回しを使えば、また再びイジメが始まってしまうかもしれないし、よく知らない人で共通経験もない人をどう表現すればいいのかも分からなかった。

 悩んだ挙句、赴任のご挨拶で朝礼台に立たれた時の第一印象をメインに据えて書きました。一緒に何もできなかったことが残念だという方向で。担任の先生は、思っていらした模範的な弔辞とは違ったので、かなり悩んでいらしたけれど、

「てにをはは修正がいりますが、文章全体に一貫性があり、失礼な内容でもないです。これで行きましょう」

 当日読みながら、学校葬の雰囲気やすすり泣く声なんかで、かぁちゃん自身もちょっぴり涙声になってしまったので、わざわざ泣き顔を確認してくるような子もいましたが、概ね皆の悲しみに水を差すようなことはありませんでした。

 超優等生的な表現や内容であれば、例のいじっめこ達から「優等生ぶっている」とか「えらそうに」とか言われていただろうに、そうではない印象と心情をつづったものだったので、彼女たちからのそういうイジメはありませんでした。

 一方、その彼女たちを責めた子達からも、「嘘がなくてよかった」というような評価を受けました。

 これのお陰で、私はどちらのグループからも距離を置くことが出来るようになりました。自ら場所を作ったようなんですようね。先生の意図通り?

 いずれにせよ、弔辞や弔意はそれを見る人の立場によって全く異なる印象になるもんなのだと、子ども心に思ったものです。

こんな風にブログで長文を書いていても、他所のブログで一言述べても、相手の受け取り方は様々で、大人になってもやっぱり難しいと感じるもの。まして、SNSでは短く伝えることが肝要だったりしますものね。

 あら、とりとめなくなっちゃったわ(;’’’’)

 

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